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企画書も小論文もブログもラブレターも、ちょっと長めのLINEも全て上手に書けるようになる。読みやすくて面白い文章の書き方。【みんなが書き手になる時代の あたらしい文章入門 - 古賀 史健 - 】

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2017年12月に発行された、古賀史健氏著の【みんなが書き手になる時代の あたらしい文章入門】を読んで学んだことをまとめています。

 

 

本書では、文章を書くそもそもの目的について考える重要性や、論理的な文章にするためのポイント、説得と納得の違い、などなど多くの人が面白いと感じる文章の裏には、どんな秘密が隠されているのかについて紹介されています。

著者いわく、書くということは他者を動かすための力の行使、とあります。そのための秘訣は論理性であり、おもしろさや、うまさは論理をクリアした先にあると書かれています。

ではどうすれば論理的な文章が書けるのか、そもそも論理的な文章とはどんなものか、これらについて紹介していきます。

 

文章を書く目的、それは「読者を動かすこと」である。

古賀 史健 みんなが書き手になる時代の あたらしい文章入門

   

 

1:説得ではなく、納得を狙ったアプローチが文章の基本。

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これが答えだ!わかりますか?という伝え方をされた場合、どのように感じるでしょうか?伝える側の、「これで説得できる」という感情が見え隠れしてしまい、ちょっと反発したくなるんじゃないでしょうか?

どんなに正しい理論であろうとも、どんなに裏付けされた情報であろうとも、伝え方に「説得してやろう!」という感情が乗っかってしまっていると、受け手側に無用な反発が起こる可能性があります。

そもそも説得する必要があるのでしょうか?文章だろうとスピーチだろうと、相手に受け入れてもらう、共感してもらうという目的のために作られているはずです。相手に受け入れられなくてもいいのであれば、そもそも発信する必要がないからです。

では、どうすれば相手に受け入れてもらいやすくなるのかというと、「説得」ではなく「納得」を狙ってアプローチをかけることだと著者は言っています。

まずは、説得と納得の違いから、納得してもらうためのポイントなどを紹介していきます。

 

 

「説得」は日本史の授業、「納得」は歴史を題材にした小説や漫画。

学生時代に日本史の授業を楽しく学べていた人はどれほどいるでしょうか?テストに出るであろう要点をひたすら暗記し、その要点の背景や成立ちについてはあまり触れられないため、ただただ暗記をし続けていた人は多いのではないでしょうか?

これは代表的な「説得」という伝え方です。「〇〇が大事だから覚えなさい」「〇〇はテストに出るから覚えておくように」というように、そこには「納得や共感」という気持ちはなく、ただただ大事という「説得」を伝え手からされているだけです。

一方、歴史を題材にした小説や漫画などのコンテンツではどうでしょうか?

例えば織田信長が主人公の小説であれば、そこに物語が存在することで没頭しやすく、読み手は自らの意思で登場人物についてや時代背景について知識を得ていきます。

これは

コンテンツに興味を抱きやすい表現を伝え手側がしており、その興味に惹かれた読み手が納得して自らコンテンツに向き合っている状態と言えます。

これが「説得」と「納得」の違いです。言い換えると「いいからやりなさい!」と言われるのと、「こんなことがあるみたいですけど、興味ありますか?」と言われているような感じです。

受け手の立場で考えた際に、どちらの方が気持ちがいいかは明白ではないでしょうか。

 

 

読んでいるだけの読者から、参加する読者へと誘導することが「納得」の秘訣。

説得に対して心が動きづらいのはなぜでしょうか?

説得内容の大抵のことは、自分と関連づけられていない他人事が多いからです。そして、我々は他人事にはあまり興味がないのです。

ということは、文章と読み手を上手に関連づけることができれば、読み手に対して当事者意識を芽生えさせることができ、一気に興味を抱かせることができるのです。

ではどうすれば当事者意識を抱いてもらえるでしょうか?

そのために重要となってくるのが、読者とのキャッチボールです。一方的に伝えるノック方式ではなく、読者に考える余白を与えるキャッチボール方式であれば、読むだけだった読者が、読みながら考えるプレイヤーになるのです。

じゃあどうすればいいの?となると、疑問や提案を投げかけることが重要となります。

文章の様々なポイントで問いや提案を投げかけ、読者が考えるという行動を取りやすい設計をしていくことが大事なのです。

これによって、自分にとって他人事であったはずの読者が、気づいたら投げかけに回答をしているプレイヤーとなっているのです。

そしてこのキャッチボールを続けていき、問いを投げかけ、読者に考えてもらい、そのタイミングで書き手の主張を提示することで、

一緒に問題の答えを導き出した、と読者は感じてくれ、それが納得に繋がるのです。

そのためには、読者が受け止めやすい問いかけをすることが大事です。そして受け止めやすい問いかけには、しっかりとした論理が必要となります。これについては、後ほど紹介します。

 

 

説得と納得の違いについて、なんとなくわかっていただけたでしょうか?自分の言いたいことを理解してもらいたいがために、説得している感の強い文章になってしまうことも多いかと思います。

そんなときは一度原点に立ち戻り、なんのために文章を書いているのか?読者にどうして欲しいのか?読者が参加しやすい構成になっているのか?ということをもう一度考えましょう。

読者が参加しやすい構成とは、問いかけや提案が要所に散りばめられている文章構成のことです。

問いかけがあり、読者がそれについて考え、その後で答え(書き手の主張)があるという流れが、読者が納得するために非常に重要です。

一方的な説得ではなく、読者が参加できるように気をつけながら、文章を書いていきましょう。


Point
文章は書き手と読み手のキャッチボール。

 

 

2:納得してもらうためには論理が大事。論理を構成する「主張」「理由」「事実」の3層構造。

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文章の目的は読者を動かすこと。読者を動かすには納得してもらうことが大事。では納得してもらうためには何が必要となるのでしょうか?

わかりやすい具体例、簡潔な文章、読みやすくするための改行、など色々思いつくと思います。

どれも間違いではありませんが、納得しやすい文章にするために最も重要なことは論理です。論理的な文章であることが大前提であり、必要最低限のルールなのです。

こちらでは、論理がなぜ重要なのかと、論理的な文章とは一体どのようなものなのかについて紹介していきます。

 

 

論理は文章の案内役。論理のない文章は読者を困惑させる。

論理的な文章を考える前に、まず非論理的な文章について考えてみましょう。

読みやすい文章、読みにくい文章とあると思いますが、皆さんはどのような文章を読みにくいと感じるでしょうか?

色々な意見があると思います。代表的なものだと、主張がコロコロ変わる、勝手な決めつけで語られている、何を言いたいのかわからない、

あたりではないでしょうか。ではこれらを言い換えるとどうなるでしょう?

矛盾(論理の辻褄が合わない)、客観性の欠如(論理的不整合生の発生)、支離滅裂(筋みちがなく、めちゃくちゃ)、

と言い換えられるのではないでしょうか。つまり、

読みにくい文章とは、まったくもって論理的ではないのです。

そのため、読者は困惑し、最悪の場合は読むのをやめてしまいます。

辻褄の合わない主張は気持ちが悪いですし、勝手な決めつけで物事を語られると不信感が募ります。極め付けに何を言いたいのかわからないとなれば、そもそも読む意味がないので、読むのをやめてしまうのは当然のことでしょう。誰もが時間を無駄にしたくないので。

ここまでくれば、文章には論理が必要である理由がお分りいただけたかと思います。

では、このような最悪の文章にしてしまわないために、どうすれば論理的な文章にできるのか?これについて次項で説明していきます。

 

 

接続詞こそが、論理的な文章かどうかを判断する監査員。

突然ですが、本書内に以下のような例文があります。

企業のリストラが本格化し、日本の終身雇用制度は崩壊した。能力主義の浸透は、若手社員にとって大きなチャンスでもある。

この文章を読んでどう感じたでしょうか?致命的に読み辛いわけでもなく、言いたいこともわかるっちゃわかる。だけど、ちょっとだけ違和感を感じないでしょうか?

違和感の正体は、文と文の繋がりにあります。文章をそれぞれ分けてみると、

終身雇用制度は崩壊した。

能力主義は若手社員にとって大きなチャンス。

という二つの文になります。単体で見ると違和感はありません。では、この二つの文を繋げるとしたら、一体どんな接続詞を入れると違和感なく繋がるのでしょう?

終身雇用制度は崩壊した。だから能力主義は若手社員にとって大きなチャンスである。

終身雇用制度は崩壊した。しかし能力主義は若手社員にとって大きなチャンスである。

終身雇用制度は崩壊した。つまり能力主義は若手社員にとって大きなチャンスである。

どんな接続詞を入れてもしっくりこないのです。ここに非論理性が隠れています。

文と文がどんな接続詞を使っても繋げることができないということは、文の繋がりに論理性がないということです。

つまり、難しいことは考えずに、文章内の繋がりに、しっかりと接続詞が入るかどうかをチェックすることで、その文章が論理的かどうかを簡単に判断できるのです。

これを踏まえた上で先ほどの例文を整えると、

企業のリストラが本格化し、日本の終身雇用と年功序列制度は崩壊した。(しかし)これは同時に能力主義の導入にも繋がる話だ。(もちろん)能力主義の浸透は、若手社員にとって大きなチャンスでもある。

というふうになります。強調されている部分が、新たに付け足した部分です。また、接続詞は括弧で括っています。接続詞が多すぎると読みにくくなってしまうという側面もあるので、実際に表記するかどうかは文章のバランスをみて整えてください。

話を戻します。つまり、接続詞が入らないということは、論理性に欠けているということがわかるので、何か他の指摘や主張が必要、もしくは主張を減らす必要がある、ということになります。

今回の場合は、終身雇用制度の崩壊と能力主義が若手のチャンスという2つの主張は関係性が薄く、接続詞を入れることができませんでしたが、間に新たな主張を入れることで、しっかりと接続詞が入る文章にできたのです。

以上のことより、論理的な文章に接続詞は欠かせないということがお分りいただけたかと思います。

接続詞は文章の論理性をチェックできる優秀なツールでもあるので、自分の書いた文章に、すんなりと接続詞が入るかどうかを毎回チェックしてみてください。もしも接続詞が入らない場合、入っても違和感を感じる場合、あなたの文章は論理性を失っている可能性があります。

 

 

読者に「?」を出させない。主張・理由・事実が連動したとき、論理的な文章が生まれる。

そもそも、論理とはどういったものでしょうか?どんな条件をクリアすれば論理的になるのでしょうか?

一度シンプルに考えてみましょう。論理とは文字通り、論が理にかなっている状態のことです。つまり、

論理的な文章とは、書き手の論(主張)があり、その正当性を示す理由(根拠)がしっかりと示されている文章なのです。

しかし、これだけではまだ客観性が足りていません。このままでは、書き手の論理に基づき書かれた主観的な文章なのです。先に書いた通り、客観性の欠如は文章の読みづらさに繋がります。

ではどうすれば主観的な論理に客観性を持たせることができるでしょうか?読者に「あー、なるほど」と感じさせることができるでしょうか?

客観性を持たせるために必要な要素は、事実です。

客観的な事実を付け足すことで、主観的で身勝手な文章から、客観性を持った納得しやすい文章へと生まれ変わるのです。

例文を使って確認してみましょう。本書内に以下の文章があります。

大相撲人気を復活させるために、日本相撲協会は思い切ってナイター制を導入するべきだ。(主張)

これは主張です。現状は主張を支える理由がありません。このままでは読者に「?」が生まれてしまうので、まずは理由を付け足して、主張を支えたいと思います。

大相撲人気を復活させるために、日本相撲協会は思い切ってナイター制を導入するべきだ。(主張)

なぜなら、平日の昼間に取り組みをおこなっても、会場に足を運べるファンはかぎられる。(理由)

どうでしょうか?主張だけの文章に比べて、納得がしやすくなったのではないでしょうか?では最後に、理由を客観的な事実で補強していきます。

大相撲人気を復活させるために、日本相撲協会は思い切ってナイター制を導入するべきだ。(主張)

なぜなら、平日の昼間に取り組みをおこなっても、会場に足を運べるファンはかぎられる。(理由)

現に、プロ野球でも平日開催のゲームではナイター制をとっているではないか。(事実) 

頭の上に出ていた「?」は消えましたか?このように、事実を使って理由を補強することで、より納得しやすくなるのです。

つまり、主張・理由・事実がしっかりと連動したとき、その文章に本物の論理性が生まれるのです。この3層構造を利用して、読者の「?」をガンガン消していきましょう。

 

 

 

以上が論理の重要さと、論理的な文章にするためのテクニックとなります。

まとめると、読者に納得してもらうためには論理的な文章が必要であり、論理的な文章には「主張」「理由」「事実」という3要素の連動が不可欠、そして論理的かどうかは接続詞がはいるかどうかで簡単に確認ができる、ということです。

忘れてはいけないのは伝えることが目的なのではなく、読者に納得してもらい行動を起こしてもらうことが目的なので、

そのためには「論理」という武器が必要ということです。

この武器を扱うのは全然難しいことではなく、使い方さえ知ってしまえば簡単に扱えます。今後文章を書く際は、論理的かどうかを確認するようにしてみてください。

 

Point
主張・理由・事実の連携によって、論理が生まれる。

 

 

3:正しさだけでは面白くない。面白くないと読まれない。読んでもらうための文章を面白くする構成テクニック。

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納得するためには論理が大事。ということは論理的な文章であれば問題はないのか、というと実はそうでもありません。

言ってることはわかるんだけど、なんかつまらない。こんな風に感じたことがある人は多いのではないでしょうか?

これは見過ごせない問題です。どんなに正しかろうと、どんなに論理的であろうと、読んでいて面白くないと意味がないのです。なぜなら読者はいつだって「読むのをやめる」という最強のカードを持っているのですから。

では、論理的な文章に面白みを付け加えるためにはどうすればいいのでしょうか?

ここでは、文章を面白くするための構成テクニックについて紹介していきます。

 

 

そのどんでん返し、必要ですか?物語性のない文章では起承転結は混乱を生む。

起承転結という言葉は誰もが知っていると思います。四コマ漫画に代表される構成方法であり、非常に馴染み深いものです。この方法は文章にも適用されるのでしょうか?

意外かもしれませんが、

ビジネス文章(物語性が必要ない文章)において、起承転結は適していません。

その理由は「転」にあります。「転」とは、どんでん返しや、それまでと逆の論が展開される部分です。

四コマ漫画でいうところの三コマ目。物語が展開し、非常に面白くなる部分なのですが、なぜ文章においては邪魔になってしまうのでしょうか?

これは、読者の視点で考えるとわかりやすくなります。

物語においてのどんでん返しは盛り上がりを生みます。犯人だと思っていた人が実は犯人ではなかった。死んだと思っていた人が実は生きていた。このように物語におけるどんでん返しは非常に盛り上がります。

ですが、そうではない文章においてのどんでん返しは混乱を生んでしまいます。直前まで論じていた内容は全て間違っていた。今までの内容と全然違う角度で新たな論が展開された。こうなってしまうと、読者は混乱し、なにがなにやらわからなくなってしまい、最悪の場合読むことをやめてしまいます

ビジネス文章においての「転」は、嬉しい驚きではなく、意味のわからない混乱を生んでしまうため、

物語性のない文章で起承転結を使うべきではないのです。

では起承転結という構成方法はまったく役に立たないのか?

そんなことはありません。どんでん返しはやはり面白いものです。そして面白くないと文章は読まれません。起承転結が適していない理由は、「転」の位置にあります。順番が適していないのです。「起・承・転・結」ではなく「起・転・承・結」に順番を変えることで、適していなかった構成方法が、面白い文章にするための最適解と変化します。

 

 

混乱ではなく熱狂を生み出す。起・転・承・結という構成方法。

正しいだけの文章は読まれない。おもしろくないと読まれない。これに関してはみなさん異論がないと思います。

では、論理がしっかりとしつつ、文章に面白みを持たせるためにはどうすればいいのか?

それは、

起・承・転・結ではなく、起・転・承・結という順番で構成することです。

一般的な流れは以下のようになります。

「起」:一般的に常識とされていることを提示する。

「転」:常識に対して疑問や仮説を投げかける。

「承」:その疑問が発生した理由や客観的事実を提示する。

「結」:一連の論をまとめる。

どうでしょうか?この順番であれば、「転」によって読者に「混乱」が生じるどころか、非常に興味を惹かれる「つかみ」となっていないでしょうか?

「転」という文章の転換ポイントを、後の方ではなく前の方に変えるだけで、「混乱」が「熱狂」に変わるのです。

このような、起・転・承・結の文章を組み立てる際にポイントとなるのが「起」です。

「転」では「それまでの話を否定するような主張」が行われる必要があります。それまでの話を肯定するような主張をすると、文章に転換ポイントがなくなり、これといった展開のない文章になってしまいます。

ということは、「起」で「このあと主張する内容と真逆の一般論」を提示する必要があるのです。これによって、一気に話が転換し、読者が興味を抱いてくれるのです。

本書内の例を使って見てみましょう。

①疲れたら甘いものが欲しくなる。

②だから、ダイエット中にケーキやドーナツを食べてもいい。

これだと、②で行われる主張が、①で先に行われている一般論を否定していないですよね。つまり、②は「転」ではなく「承」となってしまっているのです。これだと、「つかみ」にはなりません。

①甘いものはダイエットの大敵だと言われている。

②でも、ダイエット中にケーキやドーナツを食べてもいい。

こちらだとどうでしょう?①のよくある一般論を、②で真っ向から否定しています。こうなると、「どうして?」という疑問が読者に生まれ、その先の「承」や「結」で語られる理由や結論に興味を抱いてくれます。「つかみ」としてバッチリです。

どうでしょうか?起・転・承・結において、いかに「起」が大事か、お分りいただけたでしょうか?つまるところ、

起・転・承・結の文章が正しく機能するかどうかは、冒頭の「起」に「転」で行われる主張と真逆の一般論を持ってこれているかどうかにかかっています

正しい上に面白い、そんな文章を作りたい人は、ぜひ起転承結という方法を試してみてください。

 

 

読ませる文章ではなく、対話する文章にする。読者目線で行う「自分ツッコミ」。

話を一方的に聞くだけの講義と、対話が行える質疑応答、どちらの方が面白く感じるでしょうか?

どちらだろうと、内容の面白さは変わりません。しかし、参加者(読者)の姿勢が変わります。自分ごとではない話を一方的に聞くのではなく、自分がした質問に対して相手が答えてくれるのですから、自然と能動的になっていきます。内容が変化しなくとも、姿勢が変わること、他人事から自分ごとに変わることで、面白いと感じるようになるのです。

これは文章においても同じことが言えます。つまり、文章でも「対話」の要素を盛り込むことができれば、読者の姿勢を変えられるのです。

では、どうすれば「対話」の要素を盛り込めるのでしょうか?

その方法とは、

読者目線で、自分の主張に自らツッコミを入れていくことです。

文章内で主張が行われた際は、読者が「本当にそうなの?」「言ってることはわかるけどしっくりこない」というポイントが必ずあります。その読者の頭に浮かんだ「?」に対して、自らツッコミを入れることで、架空の対話が成り立っていきます

そしてその自分ツッコミに対する回答をしっかりと用意することで、自らの主張を強化しつつも、読者には対話をしているという感覚を与えられるのです。

本書内の例を見ながら確認してみましょう。

主張:高校では日本史を必修科目とすべきだ。

理由:世界史が必須で、日本史が選択科目なのはおかしい。

反論(自分ツッコミ):おそらく「国際化に対応するためには世界史が必要」という意見もあるだろう。

再反論(ツッコミに対する回答):しかし、国際社会で自国の歴史や文化を語れない方が問題である。

この後に事実と結論が続きます。どうでしょうか?日本史を必修科目にしろ!と言われて、「グローバル化が進んでるんだから、むしろ世界史じゃない?」と考える読者が多いであろうことを予想して、自ら反論を入れています。そこで終わってしまっては主張を否定することになるのですが、ツッコミに対する回答をすぐ行うことで、自らの主張は強化されています。

自分ツッコミの有効性を感じていただけたでしょうか?大切なことは、

読者目線を常に考え、読者が感じているであろうツッコミどころを察知し、読者が思っているであろうツッコミを的確に挿入していくことです。

文章を書く際、内容が正論であればあるほど、自分の主張が正しいと思っていればいるほど、読者の目線を考えずに構成していってしまいます。しかし、どんなに正しくても、どんなに論理的であろうとも、面白みを感じられないと読者は読むのをやめてしまうのです。

読者目線を忘れずに、自ら的確なツッコミを入れまくっていきましょう。

 

 

その文章、誰に向けて書いてるの?「みんな」ではなく「誰か」を喜ばせるために文章を書こう。

みなさんは最近いつ手紙を書きましたか?手紙という方法は年々減少傾向があるので、あまりみなさん書いてないかもしれません。

では、LINEなどのメッセージはどうでしょうか?毎日のように利用している方が多いのではないでしょうか。

LINEには個別でやり取りをするものと、複数人のグループのものがあります。みなさんは以下のような経験はありませんか?

個別メッセージのように、自分向けに送られてきたメッセージには基本的にしっかりと反応するけど、グループラインで誰に向けて送られているかわからないメッセージには反応しづらい。

LINEあるあるではないでしょうか?

なぜそのような現象が起こるのか?それは、

誰に向けられて発信されたメッセージなのかが曖昧だからです。

つまり、自分ごとなのかどうかわからないのです。これは、文章にも同様のことが言えます。

せっかく文章を書くのだから、みんなに読んでもらいたいという気持ちはわかります。ですが、みんなに向けて書かれた文章というのは、「自分に向けられている」という感覚を与えることが難しく、読者は自分ごとと感じられないのです。

そのため、文章を書くときは「みんなに送る」グループラインではなく、「誰かに送る」個別ラインをとして書く必要があります。

では、その「誰か」をどうやって選定すればいいのでしょうか?

「誰か」を選定するときに、おすすめの読者が2パターンあります。

特定の「あの人」/あのころの「自分」の2つです。それぞれ説明していきます。

特定の「あの人」というのは、具体的に顔の浮かぶ誰かです。20代男性とか、子持ちの母親とか大きな枠組みではなく、

特定の個人にまで焦点を絞りましょう。

というのも、20代男性のような大きな枠組みでは、範囲が広すぎてしまい、どうしたって「みんな」に向けて書くことになってしまうのです。

ここで重要なのが、「あの人」の人選です。企画書を書くのであれば、その企画書に目を通す上司を想定する。何かしらの問題の対策について書くのであれば、その問題によって苦しんでいる身近な知人を想定する。このように、書く目的に照らし合わせて「あの人」を選定することが重要です。

次に、あのころの「自分」について説明します。

あのころの「自分」というのは、今書こうと思っている情報をまだ知らなかった昨日までの自分です。自分に伝えるというのはどういうことでしょう?わかりやすくするために、一度想像してみましょう。

あなたがめちゃくちゃ美味しいカレーを食べたとします。そのカレーはとても美味しくて、いままでこのカレーを知らなかったことが残念になるぐらいだとします。

恐らくあなたは、「めちゃくちゃ美味しいカレーを見つけたよ!」「おすすめのカレーがあるよ!」と誰かに伝えたくなるのではないでしょうか?もしくは、もっと早く知りたかったと思うのではないでしょうか?

では、一番伝えたくなる相手は誰でしょう?早く知りたかったのは誰でしょう?一番伝えたい相手、もっと早く知っておいて欲しかった相手は、他ならぬ自分ではないでしょうか?

つまり、まだこの美味しいカレーを知らない「昨日までの自分のような相手」に対してメッセージを発信すればいいのです。

昨日までの自分を思い描きながら、昨日までの自分が面白がる、興味を抱きやすい文章を書けばいいのです。

これは、見知らぬ誰かと同じ目線で考えるための、最も確実な方法です。あの頃の自分に向けて書くことは、結局たくさんの誰かに向けて書かれていることとなるのです。

あの頃の自分に向けて書くことで、いまを生きる誰かに届くのです。

 

 

 

これらが、文章を面白いと感じてもらうためのテクニックになります。ポイントをまとめると、

起・承・転・結ではなく、起・転・承・結で文章を組み立てる

読者の視点に立って、自分の主張に自らツッコミを入れていく

特定の誰かをイメージして文章を書く

この3点が重要となります。

なんども言いますが、読者はいつだって読むことをやめるという行動を取れます。そして、いくら論理的でも、いくら正しい主張でも、文章に面白さがなければ、読まないという判断を簡単にするものです。

それを防ぐためには面白さしかありません。

主張をしっかりと伝えるためには、文章が面白いことが必要なのです。
自らの主張にばかり目を向けず、読者がどうすれば楽しんでくれるか?どうすれば読者に驚きを与えられるか?読者視点を常に考えて、文章を書くようにしてみてください。

 

Point
読者視点を考えることで、主張はさらに強化される。

 

 

以上が「みんなが書き手になる時代の あたらしい文章入門」を読んで学んだことです。ポイントをまとめると、

「説得」するのではなく「納得」してもらうことが大事

「納得」してもらうためには、論理が必要となる

正しい中に、面白さがないと読者は読むのをやめてしまう

となります。どれもこれもが、読者の視点で考えれば当然と言えることばかりです。だからこそ、読者の視点に立って考えることが必要なのです。

今後文章を書く際は、是非今回の内容を思い出しながらやってみてください。最初は違和感を感じるかもしれませんが、なんども何度も繰り返していくことで、自ずとできるようになっていくかと思います。

また、本記事は簡易的な要約となっていますので、文章の書き方について非常に興味が湧いたという方は、是非本書を読んでみてください。

最後に本書の一節を引用して、この記事を締めたいと思います。

すべての文章は「手紙」である。

古賀 史健 みんなが書き手になる時代の あたらしい文章入門

 

 

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